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塾長の自画自賛 その5

夜の7時、さすがに心配した両親は学校に連絡しました。担任は(ぞっとして)学校に駆けつけ家まで送ってくれました。

号泣した”猿”君を父親は”お帰り”のビンタで迎えてくれました。
運の悪さと要領の悪さは今でも引きずっている”猿”君でした。
(今だったら大問題になっていたと思いますがそのころは教師の権限は絶対でしたから”モンスターペアレント”は存在していませんでした。)
授業時間にはまだまだ落ち着きがなくいろいろ注意を受けましたが・・・
でも、この先生見るところは見ていたのです。
あるとき”自由作文”の授業があり作文提出が宿題になりました。
(このころの”猿”君は創作漢字の名手としてならし”あひるの行進”に貢献していました。)今となっては題名も忘れましたが、なんと先生に死ぬほど褒められました。

本人にはなんのことだかわかりませんでしたが。
以来、漢字の書き取りの練習に邁進し漢字の読み書きではクラス2番になっていました。1番は他校の先生の息子さんでした。(くやしい)
この”1”番のクラスメートはその後東高から東北大に進学したようです。

話は変わりますが、M(弟)の創作漢字にはとっても共感をおぼえました。
HP参照ください)こうして小4の幕は閉じました。