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塾長の自画自賛 その9

いよいよ”猿”君は小6を迎えたわけです。
ようやく”落ち着き”を手にした”猿君でした。チラシ・わら半紙との格闘は続いていました。

マキ割りの”まさかり”との格闘も続きます。
話は変わりますが、元西部(野球)の松坂投手は北海道在住のころ”船”をこいで鍛えたそうです。

3年ほど”まさかり”との格闘した”猿”君には大リーグからの声はかかりません。(脱線)
おそらく、彼は加えて”雪かき”で地肩を鍛えたのでしょう・・・
(今となっては”除雪機”のお世話になっている”猿”君です。)
話をもとに戻します。
ひそかに(?)付属中学への進学を考えていた猿君でした。
6年も後半を迎え担任はいわゆる”進路相談”を始めていました。
そうはいっても通常は地元の中学への進学が普通でした。
そんな時期、おそるおそる父親に進学希望を伝えました。
そうすると一言、”そんな余裕はないぞ!”の一言でKO負けの”猿”君でした。

その当時付属中に合格したのは2名。
その一人とは北高で再会を果たすことに・・・・
彼は教育大(旭川)へと進学しました。

なを、6年生時代の後悔のひとつは作文コンクールの2連覇を逃したことです。

担任の先生に”ここを直したら・・”とのアドバイスを受けたものの、自我(?)の目覚めがそれを許さず
おしくも2連覇は夢と消えました。(要領が悪いですね)